Dodoria.blogはクリエイター職を目指す義光、忠太郎、与助の3人が
互いを切磋琢磨しながら実力向上を図り、仕上がった作品を記録として残すために設けられたブログである。
category:忠太郎
どうも忠太でごわんす。
鳥取の続きでごわす。
今回は写真付きです。デスクトップの壁紙に使ってます。
@商店街
さてさて、お土産やさんにやってきた一行は早速、物色し始め申した。
左手には鳥取名産の陶器が並び、右手には食い物が並ぶ。
陶器を見た与助
「うわぁ、俺興味ねぇわぁ、なんじゃこれぇ」
店の人を目の前に正直すぎるともいえるその実直かつ純粋、見上げた肝っ玉である。
あっぱれと思いつつ、店員さんに目を向けると非常に残念そうに
しかし、ここぞとばかりに食い物を指さして案内してくれた。
@「レトロ館」
大通りを抜けて、左手に見えてきたのは昭和レトロ館。
本当に古めかしい昭和の品々が並んでいた。
まず玄関には大阪で昔使われていたびっくり人形がおかれていたが、
動きが不気味で、B級ホラーに出てきそうな気色の悪い人形であった。
中に入るとまず先に見えてくるのは壁に貼られたポスターである。
風にたなびくスカートを必死に抑える太ももをむき出しにした女性のポスターは
大御所である。
大昔の空気がそこにはあった。
ずんずん奥へ進み申せば、今度は時代遅れの美容室が設置されていた。
もちろん展示用であって、営業はしていない。
それから一番奥には駄菓子屋やミュージックボックス、新聞冊子、等が広がる。
駄菓子屋は実際に営業している主人がいたが、眠そうだ。
ミュージックボックスも動いてはいたが、曲がなにひとつわからん。
新聞冊子には過去の事件がカタカナと感じで表記されている。
そんな時代に生まれた人々、尊敬せざるを得ないなと感心しつつ、
こんな時代に生まれていたら、俺だってすごかったさ等と嘯いてみたり。
@「仁風閣」
新潟城をご存じだろうか。
その隣にそびえ立つ怪しき洋館、これが仁風閣である。
その日は吉日だった。
入館が無料で更に、鳥取のキャンペーンガールのここでは仮名:舞ちゃんがおった。
仮名:舞ちゃんはすごく美人で着物姿だったので、カメラマンを装って、話しかけ、一枚撮らせて頂いた。
「こんにちわぁ、大阪から来た者ですが、一枚よろしいでしょうか」
と人差し指を一本たてて、背を曲げて、申し訳なさそうにはにかんだ。
「ええ、いいですよ」
両脇にいたガードがすっと下がる。
ふふ、思い通り。パシャ。
「ありがとうございます。鳥取はいいところですね。商店街は趣があって、いい、そして何より美人も多い」
「あらあら、それはよかったです」
「ところで、この洋館は…」
いやぁ、お話楽しかったなぁw
後ろで待たせている二人に申し訳ないと思いつつ、写真ちゃんと焼き増しするからと頭のなかで謝りつつも、一行、洋館へと入り申した。
ううん、うん、ううん。首を傾げた。
確かに構造も展示されている日常品も趣向が凝らされていてよかった。だが、肝心のことが何一つわからんかった。誰が作ったかもよくわかる。歴史もよくわかる。
だけれど何で何のためにこれが建てられたのか、要するに昔の家々に対するステータスの高さを自慢しようとしたのかと納得したけれど、それはそれで何か嫌になってしまった。
ここはと思い直し、建築家の詳細を眺めてみた。
案の定、やはり芸術家はそうとは思っていないらしく、自分の作品としての感想を述べていた。
うん、仁風閣、おもしろい。特徴のあるのは屋敷の表と裏手にベランダが存在し、裏手はすごく開放的であったこと。また支柱のない螺旋階段に屋敷に合わせて作られた小物達。
少し観点を変えてみるとなかなか面白いものである。
@「民宿」
それから散々町を散策した後に民宿へと向かった。
民宿は勝手に私が選んだ。
朝晩二食、鳥取砂丘まで1分。フロあり。一泊6500円。
まぁちょっと割高にも見えるが二食付きはありがたい。
小さいおばあちゃんに小さな民宿。なかなかよかった。
「行くときはサンダルをお履き。ズボンはまくりなさいな」
親切なおばあちゃんを尻目に一行、早速サンダルを奪い、玄関に靴をたたきつけて、
雄叫びと共に、砂丘へ突っ走った。
「いfぁkfひじゅjgぴじづhpjごえいjrpjg!」
これは私の雄叫び。
「ちゃあああああああああああああああ!」
これは与助の雄叫び。
「…あ、…あぁ、ううう」
これは義光の雄叫び。
大体上の雄叫びの違いでその人間性を深々と理解して頂けたと思う。
砂丘は広大だった。
こんなあほ共を優しく受け入れる懐の深い砂丘ちゃん。
時折、風に吹かれて舞う砂埃がしみる。
サンダルを履いた素足が砂に埋まる。
さらさらと本当にこの世のものとは思えないなめらかさで流れてゆく。
手の平でこぼれる砂はまるで僕たちが過ごした思い出のよう、
きっとこれからも僕らは砂のようになめらかな時間のなかで…
「ほいdjふぉうhfpjごえいrhごえwhろhげおりごえうrひおぐひ!」
「ほぎゃあああ!」
「ああ!うぅぅう。まぁ…ま、じゅ、じゅ。あああああ!」
そんなことはどうでもいい。砂すげえええ!
正直、そんな感慨などミジンコ程度も思い浮かばなかった。
雄叫びあげて走りに走った。夕日に向かって熱き血潮にもにた魂を寄せては返す渚に託して、僕らは走った。
海と砂丘の境界線
ロマンだった。夢と幻想に満ちあふれるロマンがそこにはあった。
アドレナリンはいつもより多量にあふれ、脳内環境を制圧し終えた。
左脳は崩壊し、理論と常識を木っ端微塵に吹き飛ばし、右脳はここぞとばかりにうなりにうねって
脳の3分の2を奪うことに成功した。
これはおそらく人類史上、僕らが初めてだろう。
おそらく、そのときの脳内をレントゲンで透視すれば、国家権威の医学者たちも目を見張って次の論文に備えただろう。
まぁ、境界線の写真ではないが、上が鳥取砂丘です。
良かったら見てください。
それから何時間も子供に戻って遊び尽くしたあと、一行はあったかい飯のまつ民宿へと
帰った。夜は執筆に手をいれ、その日は皆でぐっすり眠った。
さてさて、お土産やさんにやってきた一行は早速、物色し始め申した。
左手には鳥取名産の陶器が並び、右手には食い物が並ぶ。
陶器を見た与助
「うわぁ、俺興味ねぇわぁ、なんじゃこれぇ」
店の人を目の前に正直すぎるともいえるその実直かつ純粋、見上げた肝っ玉である。
あっぱれと思いつつ、店員さんに目を向けると非常に残念そうに
しかし、ここぞとばかりに食い物を指さして案内してくれた。
@「レトロ館」
大通りを抜けて、左手に見えてきたのは昭和レトロ館。
本当に古めかしい昭和の品々が並んでいた。
まず玄関には大阪で昔使われていたびっくり人形がおかれていたが、
動きが不気味で、B級ホラーに出てきそうな気色の悪い人形であった。
中に入るとまず先に見えてくるのは壁に貼られたポスターである。
風にたなびくスカートを必死に抑える太ももをむき出しにした女性のポスターは
大御所である。
大昔の空気がそこにはあった。
ずんずん奥へ進み申せば、今度は時代遅れの美容室が設置されていた。
もちろん展示用であって、営業はしていない。
それから一番奥には駄菓子屋やミュージックボックス、新聞冊子、等が広がる。
駄菓子屋は実際に営業している主人がいたが、眠そうだ。
ミュージックボックスも動いてはいたが、曲がなにひとつわからん。
新聞冊子には過去の事件がカタカナと感じで表記されている。
そんな時代に生まれた人々、尊敬せざるを得ないなと感心しつつ、
こんな時代に生まれていたら、俺だってすごかったさ等と嘯いてみたり。
@「仁風閣」
新潟城をご存じだろうか。
その隣にそびえ立つ怪しき洋館、これが仁風閣である。
その日は吉日だった。
入館が無料で更に、鳥取のキャンペーンガールのここでは仮名:舞ちゃんがおった。
仮名:舞ちゃんはすごく美人で着物姿だったので、カメラマンを装って、話しかけ、一枚撮らせて頂いた。
「こんにちわぁ、大阪から来た者ですが、一枚よろしいでしょうか」
と人差し指を一本たてて、背を曲げて、申し訳なさそうにはにかんだ。
「ええ、いいですよ」
両脇にいたガードがすっと下がる。
ふふ、思い通り。パシャ。
「ありがとうございます。鳥取はいいところですね。商店街は趣があって、いい、そして何より美人も多い」
「あらあら、それはよかったです」
「ところで、この洋館は…」
いやぁ、お話楽しかったなぁw
後ろで待たせている二人に申し訳ないと思いつつ、写真ちゃんと焼き増しするからと頭のなかで謝りつつも、一行、洋館へと入り申した。
ううん、うん、ううん。首を傾げた。
確かに構造も展示されている日常品も趣向が凝らされていてよかった。だが、肝心のことが何一つわからんかった。誰が作ったかもよくわかる。歴史もよくわかる。
だけれど何で何のためにこれが建てられたのか、要するに昔の家々に対するステータスの高さを自慢しようとしたのかと納得したけれど、それはそれで何か嫌になってしまった。
ここはと思い直し、建築家の詳細を眺めてみた。
案の定、やはり芸術家はそうとは思っていないらしく、自分の作品としての感想を述べていた。
うん、仁風閣、おもしろい。特徴のあるのは屋敷の表と裏手にベランダが存在し、裏手はすごく開放的であったこと。また支柱のない螺旋階段に屋敷に合わせて作られた小物達。
少し観点を変えてみるとなかなか面白いものである。
@「民宿」
それから散々町を散策した後に民宿へと向かった。
民宿は勝手に私が選んだ。
朝晩二食、鳥取砂丘まで1分。フロあり。一泊6500円。
まぁちょっと割高にも見えるが二食付きはありがたい。
小さいおばあちゃんに小さな民宿。なかなかよかった。
「行くときはサンダルをお履き。ズボンはまくりなさいな」
親切なおばあちゃんを尻目に一行、早速サンダルを奪い、玄関に靴をたたきつけて、
雄叫びと共に、砂丘へ突っ走った。
「いfぁkfひじゅjgぴじづhpjごえいjrpjg!」
これは私の雄叫び。
「ちゃあああああああああああああああ!」
これは与助の雄叫び。
「…あ、…あぁ、ううう」
これは義光の雄叫び。
大体上の雄叫びの違いでその人間性を深々と理解して頂けたと思う。
砂丘は広大だった。
こんなあほ共を優しく受け入れる懐の深い砂丘ちゃん。
時折、風に吹かれて舞う砂埃がしみる。
サンダルを履いた素足が砂に埋まる。
さらさらと本当にこの世のものとは思えないなめらかさで流れてゆく。
手の平でこぼれる砂はまるで僕たちが過ごした思い出のよう、
きっとこれからも僕らは砂のようになめらかな時間のなかで…
「ほいdjふぉうhfpjごえいrhごえwhろhげおりごえうrひおぐひ!」
「ほぎゃあああ!」
「ああ!うぅぅう。まぁ…ま、じゅ、じゅ。あああああ!」
そんなことはどうでもいい。砂すげえええ!
正直、そんな感慨などミジンコ程度も思い浮かばなかった。
雄叫びあげて走りに走った。夕日に向かって熱き血潮にもにた魂を寄せては返す渚に託して、僕らは走った。
海と砂丘の境界線
ロマンだった。夢と幻想に満ちあふれるロマンがそこにはあった。
アドレナリンはいつもより多量にあふれ、脳内環境を制圧し終えた。
左脳は崩壊し、理論と常識を木っ端微塵に吹き飛ばし、右脳はここぞとばかりにうなりにうねって
脳の3分の2を奪うことに成功した。
これはおそらく人類史上、僕らが初めてだろう。
おそらく、そのときの脳内をレントゲンで透視すれば、国家権威の医学者たちも目を見張って次の論文に備えただろう。
まぁ、境界線の写真ではないが、上が鳥取砂丘です。
良かったら見てください。
それから何時間も子供に戻って遊び尽くしたあと、一行はあったかい飯のまつ民宿へと
帰った。夜は執筆に手をいれ、その日は皆でぐっすり眠った。
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